身体は○○ではない

身体

身体身体は、パーツを寄せ集めた機械のようなものではない。
身体は、観念的なエネルギーの集合体でもない。

痛みやこわばりの治療では、解剖・生理・病理に基づいて極めてリアルに身体に介入している。
けれども、機械のパーツを修理するように直すのではヒトは治らない。

生活の中での身体遣いの癖や姿勢が、症状として語りかけているときもある。
あるいはソマティックな現象として何かが身体に表現されていることもある。

そうであれば、パーツが修理されるだけでは充分ではなく、生活の中の無理を理に適ったものに、自然を妨げているものを解き放って自然が現れるようにするはたらきが助けられることでなければヒトの治癒はほんとうには起こり得ないだろう。

技術的には、どんな名前のセラピーでも整体でも、再教育でも、鍼灸でもいいだろう。言葉でも、手で触れることでも。

技法や理論(仮説)の名前であったりやり方であったりに身体を当てはめるのではなく、身体の現実に呼応して技法や理論を使う。
何であれ勇気づけが起こり、言い訳なしにレスポンスし、そして今ここにある豊かさを十分に味わい、現していく助けになるのであれば、何であっても使ってしまえばいい。
よりシンプルで、より侵襲が少ない方法ならば、その方がいい。

言葉をツールにして勇気づけが起こるならばそれもいい。
そして、身体を介した関わりは、身体の声にイエスと言えるならば、自分をごまかす余地が少ない。

身体からアプローチする方がよいギバーとクライエントであるならば、このワークは、少なくとも身体に現れる症状を軽減できうるし、あるいは他のアプローチでは届き得なかった枷を自ずから落とすかもしれない。

— for Psychic Massage

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